■高萩 ハイキングプログラム

・高萩スカウトフィールド内にも楽しいスポットはあります。ここでは高萩の街中や周辺の

 ハイキングコースをご紹介します。

 

・高萩の偉人に日本最初の実用地図を作った「長久保赤水」さんがいます。

 伊能忠敬さんが作った地図は江戸幕府の機密情報だったので、その存在が世間に広く

 知られるようになったのは明治時代になってからです。

 長久保赤水さんの地図は日本全国で旅人や船乗りたちに利用された当時は有名な実

 用地図でした。

 

 

 

高萩市内10キロハイキングコース

◆長久保赤水の関連施設や史跡を歩きつくす、歩行距離優先のハイクです。

1.プログラム形態

 ・長距離ハイク(10キロ)

 ・座標ハイク

 ・オリエンテーリング

 ・座標ハイク+オリエンテーリング

 ・野帳作成(1線、2線式)

 ・方位角地図作成

 ・その他

2.ハイクの順路例

 高萩市歴史民族資料館・・高萩駅(赤水像)・・朝香神社・・松岡城址・松岡小(就将館)・・清松高校・・鹿島神社・・願成寺・・赤水墓・・南中郷駅

3.ハイク体験の感想

 ・このコースは地元のハイキングクラブ主催のイベントに参加した時のコースです。引率者有で昼食30分を含み4時間でした。何かを学ぶというより距離重視のコースです。松岡城址付近だけ道が複数ありますが、他はほぼ一本道。道幅は片側1車線の道路、1車線双方向道路、農道、住宅街の小道(車不可)などで交通量は少ない。参考地図が必要な方は「お問い合わせ」コーナーからお願いします。

 

長久保赤水を知るハイキング

◆長久保赤水をじっくり探究するハイクです。赤水の研究家の方を協力者にお迎えできるようお願いをして座学と赤水ゆかりの地を歩きます。ジャンボレット期間中は協力者の方のご都合が次第ですが、原則は土日限定になります。

1.プログラム形態

 ・座標ハイク

 ・オリエンテーリング

 ・座標ハイク+オリエンテーリング

 ・野帳作成(1線、2線式)

 ・写真撮影

 ・スケッチ

 ・追跡ハイク(万葉の道)

 ・その他

2.ハイクの順路例

 <半日コース>

13時松岡小(就将館)で座学・・清松高校・・赤水生誕地・・赤水墓地・・南中郷駅

<全日コース>

10時松岡小(就将館)で座学・・清松高校・・赤水生誕地・・赤水墓地・・砂浜で昼食・・高萩霊園(万葉の道)・・かんしゃ神社・・高戸前浜(高萩海水浴場)・・高萩駅

3.ハイク体験の感想

 ・学んで、海食崖のすばらしさと恐さを見て、そして美しい海岸線の中での昼食。締めは高萩海水浴場になります。映画やドラマのロケ地に使われる「ささき浜」への道は浜へ降りる2メートル手前で崩壊しているため立入り禁止でした。20年くらい前に子どもたちを連れて降りたのが最後になってしまいました。(調査日2017年4月22日)

 

高萩の名所・旧跡ハイキング

◆高萩駅を出発して、名所・旧跡をたずねるコースです。高萩駅前で長久保赤水の像と地図レリーフを見学。

 北宿並木では、徳川家康の街道整備の命令で江戸時代初めに植林した松並木の最後の一本が見られます。当時このあたりは松並木がきれいで松原とも呼ばれていました。

 高萩は馬の産地でもありました。スカウトフィールドよりさらに西側の山間部には、放牧地が広がり高萩市内には馬頭観音石碑が点在しています。

 松岡城址周辺は、お屋敷通りを散策します。朝香神社は水戸黄門さまの神仏分離令により能仁寺から別れて朝香神社となりました。

 1770年代に建てられた穂積家住宅を見学後はちょっと登りが続きますが最終地点の高萩炭鉱資料館を目指します。高萩地方では江戸時代末期から採掘が始まりました。資料館では当時の道具や炭鉱町の模型などが展示されています。

1.プログラム形態

 ・座標ハイク

 ・オリエンテーリング

 ・座標ハイク+オリエンテーリング

 ・野帳作成(1線、2線式)

 ・写真撮影

 ・その他

2ハイクの順路例

 <半日コース>

 9時高萩駅・・北宿並木一本松跡・・馬頭観音石碑・・朝香神社・・松岡城址

 <全日コース>

 9時高萩駅・・北宿並木一本松跡・・馬頭観音石碑・・松岡城址・・朝香神社・・穂積家住宅・・高萩炭鉱資料館(逆コースだと上り坂少ないが炭鉱資料館の開館時間が10時からとなる)

 3.閑話

 曾祖母は松原に住んでおり明治時代の半ばでしょうか、当時は松原小町と評判の別嬪

 さんだったそうです。

【お知らせ】

              

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このホームページ上のスカウト運動に関する事項は、ボーイスカウト日本連盟ホームページ掲載 「ボーイスカウト関係のホームページ開設」に沿って、埼玉県連盟草加第7団 大山 英治 の責任のもとに掲載しています。